nyabot’s diary

電気猫の夢を見るお話

ラズベリーパイの魅力を極めて個人的な視点から語ろうと思う

ロボットづくりにラズベリーパイ(Raspberry Pi)を使うことに決めた。

すでに世界で愛されているラズベリーパイだが、僕が感じたやや偏った魅力について書き残しておきたい。
ラズベリーパイについて知りたい人にとって価値のある情報はここにはないので注意。

カードくらいの大きさ

クレジットカード大の小さなコンピュータ。もうこの時点で素晴らしい。

小さく作りこまれたものが好きだ。現行のiPhoneならSEが好きだし、精巧な機械式時計はいつまで見ていても飽きない。
スマートフォンが普及した理由やノートパソコンが薄く軽くなる理由は、決して利便性だけじゃないと僕は思う。見た目が赤くなっただけで3倍のスピードが出ればかっこいいし、同じ性能であれば小さい方がかっこいい。

これはロマンの話だ。
小さなものに詰め込まれた技術は、夢を見せてくれる。自分の想像の範囲外にある世界が、とても美しく作りこまれたものである、と感じさせてくれる。

例えばスマートフォンを初めて手にしたとき、僕は心が躍った。当時はまだパソコンにも疎く、ガラケーに搭載されたブラウザはパケット代の関係でほぼ使ったことがなかった。 そのため、スマートフォンとの出会いは、インターネットとの出会いにも等しかったのだ。

手のひらの中に、世界とつながる端末がある。その事実は、少年だった僕にはとても刺激的で、まるでSF映画の中に出てくる夢の機械を手にしているかのように思えた。
スマートフォンが持ち歩けないほど大きな端末であったら、あるいはそれがPCであったら、あの感動はなかっただろう。

そんなわけで、小さい中に可能性を秘めたラズベリーパイというものに、僕は好意を抱かざるをえない。
もっとも、これはラズベリーパイに限った話ではないが……。

開発元が「ラズベリーパイ財団」

開発したのはイギリスを拠点とする「ラズベリーパイ財団」らしい。 ラズベリーパイ財団……財団、という響きに魅力を感じるのは僕だけだろうか。

営利組織ではないみたい。実際のところそれがどの程度経営に影響するファクターなのかはわからない。 しかし、儲けることを最大の目的としていないわけで、それは難しく価値のあることだと思う。 儲けることを目的とする事業も正しい。そうした企業が世界を良くしているのも事実だ。しかし、営利目的の企業はその事業が儲からないときに軸がぶれる、と僕は経験的に感じている。自己の存続や利益の追求のために、曲げたくなかった部分を曲げてしまうこともある。

財団というものの何たるかを知らないので書くのもあれだが、とにかく言いたいことは一つ。 〇〇財団、って響きがもうかっこいい。すき。秘密裏にワンオフの機械とか作ってそう。

名前がラズベリーパイである

おいしそう。

物の魅力と、美味しそうか否か、というのは相関関係にある。
例えば綺麗な色を見たとき、美味しそうな色だな、と思う。綺麗な肌やマテリアルを見たときにも同様に、なんとなく美味しそうだな、と感じる。やばい趣味とかはない。

思うに、人の生存に必要な食欲と物を必要とする感覚はどこかで通じているのではないだろうか。実際に、水分は生存に不可欠であるという本能から、潤んだ瞳や唇は異性に魅力を感じさせるらしい。

しかもラズベリーは赤い。
赤は特別な色だ。林檎も、日の丸も、僕の好物のトマトも赤い。戦隊モノなら主人公っぽい。専用機っぽい。メインヒロインっぽい。

名前に関して言えば、日本発のIchigojamとかもとても良い。名前だけならあっちの方が好きかも。

つづく。